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活動報告

ザンビア研修(2015年度)のご報告

[写真1]発表する陳文叡さん

 平成27年10月31日(土)から11月7日(土)までの8日間の日程で、今年度のザンビア研修「平和と安全保障スタディ・プログラム」が実施されました。未来共生プログラムの学内プログラム担当教員である、ヴァ―ジル・ホーキンス准教授(国際公共政策研究科)を中心に企画されたこの研修には、プログラム第3期生の岩根あずささん、陳文叡さん、堀口安奈さん(国際公共政策研究科・博士前期課程1年)の3名に加え、第1回研修参加者で現在タンザニアにてインターンシップ中の沓掛沙弥香さん(言語文化研究科・博士後期課程1年)がTAとして参加しました。
 未来共生プログラムは、コッパーベルト大学(Copperbelt University, CBU)のダグ・ハマーショルド平和研究所(Dag Hammarskjöld Institute for Peace Studies, DHIPS)内に、サテライトオフィスを設置しています。第3回目となる今回の研修は、「再定住と難民危機」(Resettlement and the Crisis of Refugees)というテーマのもと、DHIPSと合同でセミナーとスタディ・ツアーを開催しました。
 ザンビア1日目、プログラム3期生たちは「再定住」という大きなテーマを自分なりに解釈し、研修前から練り上げたプレゼンテーションを行いました。プレゼンテーションのタイトルは以下の通りです:

 ・岩根 あずさ:Zainichi Koreans and Japanese Society
 ・堀口 安奈:The Problem of Discrimination against NIKKEI People in Japan
 ・陳 文叡:Involuntary Resettlement in China: The Case of the Three Gorge Project

 在日コリアン問題も日系ブラジル人問題も、日本と諸外国(植民地)との歴史的な関係性を十分に説明しなければなかなか理解が得られにくい問題です。同時に、さまざまな理由(政変・地域紛争による住民の難民化など)から人の移動が起こり、そこに軋轢が生じやすい状況にある現代アフリカにおいては興味深い問題でもあります。そのため、フロアからはその歴史的な背景についての問いがいくつも投げかけられました。そして、天然資源開発による住民の集団移転もまた「再定住」というテーマを構成する重要な要素です。鉱物資源を多く有するザンビアは、開発の過程だけでなく、開発後(閉山後)の環境汚染による住民の移転、再定住の問題を抱えています。中国という社会主義体制のもとで行われた資源開発と再定住プロジェクトについての議論は、いつしか民主主義を問うものへと発展し、会場は白熱した空気に包まれていました。

[写真2]カンサンシ露天掘り鉱山①

[写真3]カンサンシ露天掘り鉱山②

 ザンビア研修2日目には、ザンビア・北西州の町ソルウェジ(Solwezi)にあるカンサンシ鉱山(Kansansi Mining)を訪れました。カンサンシでは、2つの大規模な露天掘り鉱山から銅鉱石を採掘し、その後粉砕、浮遊選鉱、精錬工場での電解採取というプロセスで銅板を生産しています。銅の年間生産量(2014年)は26万2千トンで、これはザンビア全体での銅の年間生産量の37%を占めています。私たちは、広報担当者の案内のもとで鉱山内をバスで移動しながら銅生産の各プロセスを見学し、その開発規模の大きさを身をもって感じることになりました。ところで、銅の精錬過程で発生する二酸化硫黄は、酸性雨の原因となることが知られています。今回、銅の電解採取用プールの排水溝には、硫酸銅の鮮やかな青色の結晶が大量に付着しており、改めてその環境への影響を考えずにはいられませんでした。ザンビアでは、鉱物資源開発をめぐる深刻な環境汚染が各地で起こっており、中でも中部州の町カブウェ(Kabwe)は、「世界で最も汚染された町」として世界中にその名が知られています。そのため、鉱山見学後のミーティングでは、企業の環境保全対策に質問が相次ぎ、開発企業側は、教育関連事業や地元経済の活性化などのCSR(Corparate Social Responsibility:企業の社会的責任)活動と合わせて、環境対策への取り組みにも力を入れていることを繰り返し強調していました。

[写真4]カンサンシ露天掘り鉱山の精錬場

[写真5]銅の精錬過程の様子

 ザンビア研修3日目、ソルウェジから西へ70kmほどのところにある、メヘバ難民定住地(Meheba Refugee Settlement)を訪れました。ここは、1971年にザンビアの隣国アンゴラの独立をめぐる争いから難民化した人々を収容するために作られた、ザンビア最大級の難民収容施設です。近年、かつて住民の大多数を占めていたアンゴラ難民の多くは帰還し、現在では全住民数の34%に減少、彼らに代わって1990年代半ばに起こったルワンダでのジェノサイド、そこから派生したコンゴ民主共和国(元ザイール)での紛争から逃げ延びた人々の割合が、それぞれ15%と37%と多数派を形成しています。今回、この後者のグループに属する定住地の住民の方々から直接話を聞くことができました。彼らの話からうかがい知ることができたのは、たどり着いたこの地での生活も決して楽ではなく、子供の教育や就労などの面で多くの困難を抱えているという現実でした。長期間にわたって周辺諸国の難民を受け入れてきたザンビアでは、難民の支援だけでなく、難民を受け入れている地域社会の発展を包括的に目指す「ザンビア・イニシアティブ」が進められています。世界規模で新たな難民問題が日々進行している今日、ザンビアにおけるこの極めて「未来共生的」な取り組みは特筆すべきものだといえるでしょう。しかし同時に、地域の声を丁寧に拾い上げていくことの重要性を、今回の訪問で改めて気づかされることになりました。

[写真6]メヘバ難民定住地でお話を伺った方々と一緒に

[写真7]元国連事務総長ダグ・ハマーショルド搭乗機墜落現場を訪問

 ザンビア研修4日目、コンゴ民主共和国との国境の町カスンバレサ(Kasumbalesa)を訪れました。隣国とは海に隔てられている日本に暮らしていると、「国境」を感じる機会はまずありません。しかしここでは、柵を隔てた向こう側がコンゴ民主共和国であり、言語も通貨も異なるふたつの国の境界線のあからさまな可視性に不思議な感覚を覚えます。内陸国ザンビアには国境に沿って複数の入国管理局がありますが、ここカスンバレサは道路の整備状況の良さから最大の車両通過量を誇っています。大量の積み荷を載せた大型車両が連なり、人とモノがあふれる光景もまた、ザンビアの一面であることを知ることができました。

 ザンビア研修最終日、ンドラ郊外にあるダグ・ハマーショルド搭乗機墜落現場と記念資料館を訪れました。ダグ・ハマーショルドの搭乗機がここに「墜落」した背景にあるのは、ザンビアの隣国コンゴの独立と鉱山資源の権益をめぐる紛争です。1960年、ベルギー領コンゴは「コンゴ共和国」(旧ザイール、現在のコンゴ民主共和国)として独立を果たしました。しかし、ベルギーの植民地政府からコンゴ新政府への統治システムの移管が適切に行われず、独立直後からコンゴは混乱に陥ってしまいます。この混乱を受け、旧宗主国ベルギーが軍隊をコンゴに投入すると、それをベルギーによる内政干渉だとしてコンゴ軍が攻撃を開始、いわゆる「コンゴ動乱」が幕を開けることになります。同時期、豊富な銅の鉱脈を有するコンゴ南部のカタンガ州が「カタンガ国」として分離独立を宣言、この動きにも銅の権益を狙うベルギーの関与は明白でした。泥沼化するコンゴ情勢を前に、当時の国連事務総長だったダグ・ハマーショルドが停戦協議のため向かったのが、北ローデシア(現ザンビア)のンドラでした。しかし彼の乗った飛行機は「何らかの事情により」墜落、停戦協議は叶わず、事態の長期化を招くに至りました。現在、墜落現場には彼の平和への思いを記した記念碑が建立され、彼の功績をたたえた資料館が建設されています。
 

 「平和」という言葉を提示されても、それについてあまりにも漠然とした感触しか得ることができないのが、今を生きる私たちの現実だといえるのかもしれません。ですが、ハマーショルドの死の引き金となったのが銅というあまりにも日常に不可欠な物質であること、またその生産のために犠牲にされているものがあることを、今回私たちは知ることになりました。「平和と安全保障」の問題は、平和な日本から遠く離れた場所の問題としてあるのではなく、私たちの問題なのだと改めて気づかされた研修となりました。

 

(2015年11月13日, 神田)

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