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活動報告

熊本地震(2期生宮前さんからのレポート)

 本プログラム担当教員の渥美公秀先生[人間科学研究科]が4月14日に発生した熊本地震の災害救援ボランティアで熊本県に赴いています。同行中の宮前良平さん[未来共生プログラム2期生; 人間科学研究科博士後期課程1年]が現地より報告して下さいます。以下、宮前さんの報告です。

2016年熊本地震レポート #2(2016年4月16日(土))

[写真1]熊本地震の被災状況

 わけも分からずに起きた。まだ頭は寝たままだった。最初は、揺れていることに気づかなかった。しかし、揺れが30秒以上続くと、ようやく「余震」が起きたのだと理解することができた。この「余震」は、なかなか揺れが収まらず、揺れていることに気づいてから、10分ほど揺れ続けていた。ゆらゆらゆらドン。ゆらゆらゆらゆらドン。という具合に。揺れが収まると、今度は、部屋の外から、人の声が聞こえるようになった。どうやら宿舎の従業員の方が避難を呼びかけているらしい。よく見ると、部屋の壁にひびが入っている。これは、いよいよただの余震ではないと思い、宿舎の駐車場へ着の身着のまま飛び出した。道路の向かいの自動販売機は、土台から動かされ、右足だけ前に出て不格好だった。もしかしたら、大変なことになるかもしれないと思い、ペットボトルのお茶を1本だけ買った。
 体感で3分から5分おきに地面が揺れた。このころになると、先ほどの地震の震度が6強であったという情報が入ってくる。変だな、余震、だよな、と疑問に思う。今からすれば、この疑問は、まさに現実のものとなってしまっていたのだが。
 近くの避難所に指定されていた小学校がすでに満杯だということが宿舎の従業員の方から告げられたのは、たしか2時半くらいだっただろうか。外は、寒かった。急いで出てきた薄着の子どもたちには酷な環境だった。代わりに、宿舎の大会議室を簡易避難所として開放していただいた。そこは、もしも揺れたとしてもすぐに外に出ることができる部屋だった。これは非常にありがたかった。暖房のきいた部屋で、雑魚寝でも横になることができる。しかし、落ち着いたと思うと、緊急地震速報にたたき起こされる。もしくは、すでにじゅうぶん揺れた後に、携帯に届く「あと0秒後に地震が発生します」の文字列。これが断続的に夜明けまで続き、最終的には、警報が鳴っても地震が起きても、起き上がる体力さえ残されていなかった。消耗戦であった。
 朝になると、テレビを見て被害の全貌が少しずつ分かるようになった。阿蘇や大分も心配だったが、昨日訪れた益城町が何より心配だった。家のなかがめちゃくちゃになり「今は何をしてもらう気にもなれない」と呆然と語ったあの女性。スタッフの足りない避難所で徹夜で働き続けていた方々。そして、家に帰ったほうが安心だからと避難所を出て自分の家で一夜を過ごそうとした方は、きっと、いらっしゃったはずである。そこまで思いを巡らせたとき、ニュースが伝えたのは、益城町で生き埋め閉じ込め20件超ということであった。
 9時30分ごろ宿舎を出て、益城町へ向かった。途中コンビニに寄ろうとしたが、どこも空いていない。熊本市内も渋滞が多発していた。それらはすべて、ガソリンスタンドから伸びる車の列であった。昨日は、被害のほとんどない市内であったが、ショーウインドウは割りやぶられ、壁のタイルは剥がれ落ちているビルが目についた。局地的な被害では、もはやなかった。
 益城町へ向かう道は、不気味なくらい空いていた。昨日は、渋滞でにっちもさっちもいかなくなっていた道をすんなり通ることができた。
 町の中心部へ向かう。そこで目にしたのは、昨日から一変した町の姿であった。昨日は、数人で屋根瓦の修理をしていた家が、この日は倒壊していた。昨日は、通ることのできた道が、倒壊した家々によってふさがれ、歩いて通ることも叶わない様子だった。昨日は、持ちこたえていた家が、ほとんど倒壊していた。局地的に壊滅的な地震が、広範囲で壊滅的な地震になっていた。
私たちは、あまりに変わり果てた街の姿にショックを受け、ひとまず避難所の様子を見、手伝おうと決めた。昨日訪れた避難所、総合運動公園に遠回りして入った。昨日は空いていた駐車場が満車だった。何とか車を止め中に入ると、昨日の3,4倍ほどの住民の方々が避難していた。しかし、ボランティアスタッフの数は、ほとんど変わらない。しかも、支援物資が届かなくなっているようだった。「お弁当は残っていませんか」「パンはありませんか」と尋ねる住民の方々に対して、「もう残っていません。いつ届くのかもわからないです。今は、自衛隊の炊き出ししかありません」と答えるしかできなかった。炊き出しの行列も長蛇の列となり、聞くと、一時間以上並ばないといけないらしい。どうやら、道が寸断されて車が入りにくくなっていることと、支援の手が阿蘇や大分に向かい始めてしまっていることが原因なのではないかとのことだった。益城町は、震度7の「前震」と震度6強の「本震」に襲われながら、忘れ去られた被災地になってしまった。
 わたしたちは、急変した事態に多少うろたえていた。そして、収まらない余震でボランティア自ら被災してしまう可能性があること、広範な被災状況に対して、新たに手を打つ必要があることを感じ、一旦、大阪に戻り、体勢を立て直すことにした。現在進行形の震災の真っただ中で、現場を後にすることほど、無力感に襲われることはない。つまり、救援に向かったはずが、本震に遭い、被災し、熊本から出ることになったわけである。
 今回は、短期滞在となってしまったが、単発的な支援では全く対応できないだろう。仮設住宅も必要になっていくことが予想される。私たちは、被災された方に寄り添うということを忘れずに長期的な支援を行っていく。

[写真2]熊本地震の被災状況

[写真3]熊本地震の被災状況

(2016年4月16日, 宮前)

2016年熊本地震レポート #1(2016年4月15日(金))

[写真1]熊本地震の被災状況

 午前八時、私たちは、新大阪駅にいた。昨晩遅くに熊本で震度7の地震があり、被害は甚大、死者も数人出ているらしいということを知っていた。いや、正確に言えば、それ以外の情報は何も知らなかった。
 震度7は、阪神・淡路大震災以降4例目の強い揺れであった。だから、「震度7」という文字がテレビや新聞、Twitterなどネット上を騒がすたびに、あの大震災のイメージが脳裏をよぎった。燃えさかる街並み、崩壊した家々、避難所で肩を寄せ合う住民の方々。そう思うといてもたってもいられず、西宮市に本拠を置く日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD)と恊働で熊本県益城町に入った。
 博多駅まで新幹線で行き、そこから九州自動車道を南下。植木ICまで行ったが、それより以南は、通行止めだと言う。下道もやはり混んでおり、大幅な回り道の末、14時30分ごろ益城町に到着した。少し離れた駐車場に車を置き、歩いて役場まで行くも、テレビで見たような被害はほとんどなかった。おかしいなと思い、役場からさらに南に行くと、突然一階部分が潰れ、原形をとどめていない民家がそこかしこに現れるようになった。その持ち主と思しき40代くらいの女性に話しかけると「今はただただ途方に暮れていて、何かをしてもらう気にすらならない」と涙ながらに話してくださった。共同通信のかた曰く「ここのラインが局所的にやられている。ほかの場所は意外と被害が出ていない」と、被災地には似つかわしくないほどの冷静さで答えてくださった。この局地的に壊滅的な被害こそが今回の地震の特徴かもしれない。
 そして、まちで第二の規模の避難所である総合運動公園へ行き、支援物資を整理した。そこは、総合運動公園で働いているスタッフの方々が徹夜で働き詰めで、勤続30時間を超え、すでに限界が来ていたが、代わりになる人がおらず、いつスタッフの方々が倒れてもおかしくない状況だった。明日以降、休日のためボランティアに来られる人々も多いかもしれない。ボランティアを受け入れられない状況が起こるかもしれない。町の社協は、様々な手続きに追われボランティアセンター開設にはこぎつけていないのが現状だった。
 支援物資はそれなりに届いており、ボランティアの人出も足りそうな状況であるが、その支援の多さに町がパンクしてしまいそうである。

[写真2]熊本地震の被災状況

[写真3]熊本地震の被災状況

(2016年4月15日, 宮前)

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