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活動報告

「あおぞら財団」訪問、西淀川公害訴訟(6月16日コミュニティワーク)

6月16日(日)、「コミュニティワーク」の授業で再び「あおぞら財団」を訪れました。今回も前回に引き続き林美帆さんがコーディネートして下さいました。 

 
左より林美帆さん、永野千代子さん、上田敏幸さん 会場の様子

 今週の授業では、西淀川公害訴訟の被害者である永野千代子さん、原告団の代表者である上田敏幸さん、被告の企業側で対応に当たられていた山岸公夫さんのお話を伺いました。このように、訴訟の被害者、原告、被告と立場の違う方々が揃ってお話しをされることは、非常に珍しいことです。

 一番最初に、被害者側の立場より永野さんが話されました。

被害について話される永野千代子さん

永野さんは昭和43年に西淀川に引越したことをきっかけに、西淀川に住むようになりました。体の調子がおかしくなったとき、「公害」という言葉はあまり有名でなく、病院に行って診断を受けて初めて「公害」という言葉を聞いたそうです。

 永野さんは被害者団の一員として、裁判を有利に進めるために、被害の重大さを多くの人に知ってもらう必要があったのですが、自分の病状を人に伝えることが、思いの外、難しかったそうです。
 永野さんご自身も公害が元で慢性気管支炎を発症されていますが、湿度の少しの変化で咳が止まらなくなったときなどは、それが公害が原因であることをわかってもらえず、つらいときもあるそうです。大変さを伝えたいのですが、家族にさえ、その大変さを伝えるのが難しかったとおっしゃっていました。
 患者会の人の中には、夜にぜんそくの発作が起こり、救急車を呼ぼうとしたところで、息絶えたような方もいらっしゃるそうです。永野さんは「私たちは、子供たちにきれいな空気を残したい、と思って運動をしている。同じ残すならば、快適な西淀川を残したい」とおっしゃっていました。

 つぎに、原告団の立場より上田さんが話されました。

ご自身の経歴について話される上田敏幸さん

上田さんは1980年代に新聞記者をしていたときに、西淀川公害訴訟と関わり始めました。

裁判で特に難しかったことは、加害者に加害を認めさせることでした。被告側の企業の中には、住民が被害を訴えても「何が臭いねん、蒲焼きの臭いじゃ」と言って追い払うようなところもあったそうです。
 上田さんによると、訴訟で和解にまで持ち込むことができたのは、原告団が最後まで分裂せずに行動できたことが大きかった、とおっしゃっていました。たとえば、環境大臣のような意思決定ができるキーマンと話をするときに、いろいろな団体があるとこちらの主張もいろいろになってしまい、結果として、そのことにより原告側が被害を適切に訴え損なうことになりかねない。そのため、原告団のなかで調整して先方に意見を持っていくように心がけたそうです。また、医師会のような既存の大きな団体がバックアップしてくれたことも、原告団がまとまって動く上で非常に大きかったとおっしゃっていました。

 上田さんによると、大気汚染による公害は、患者の健康を害するだけでなく、患者の生活を全面的に破壊する点で非常に際立っていたそうです。家族関係、不理解に基づく理不尽な扱いのように、様々な二次的被害をもたらしました。とくに被害者となりやすかった人々は、地域の中で生活している子供やお年寄りであったそうです。今では西淀川周辺には緑蔭道路のような市民の憩いの場もありますが、それでも大阪市内には局地的な汚染があるそうです。「みなさんが自分ができることが何かを、考えていただいて、今後、がんばっていって下さい」とおっしゃっていました。

 最後に、企業側の立場より山岸さんがお話をされました。

左より林美帆さん、山岸公夫さん、
上田敏幸さん

西淀川公害訴訟では大手企業10社が被告となりましたが、山岸さんが昭和44年に入社された神戸製鋼もその中に入っていました。山岸さんが訴訟に関わるようになったのは、神戸製鋼で労働部に所属するようになってからです。
 「特に触れることとして…」、山岸さんが前置きして述べるには、西淀川公害訴訟の前には、煙の排出に関する制度上の規制は何も存在しなかったそうです。したがって、企業側の立場に立てば、違法な行為をしている、という認識はなかったし、むしろ、訴訟が起こる前は煙は経済成長の象徴のように扱われるほどであり、少なくとも公害とつなげて考えられることはなかったそうです。山岸さんは「原告側から見れば、法律がなかったため、『この法律に触れるから問題だ!』と主張できなかった。しかし、被告側からすれば、『心外だ!』という気持ちがあった。本当に、昔の教科書では煙突の煙は発展の象徴のように扱われていたのですよ。攻められることが『心外だった』」と言っておられました。

 裁判では企業側が賠償金を支払うことになったが、「青空を取り戻して次の時代に渡す」ということに関しては、山岸さんもそのような希望を持っています。しかし、企業側の訴訟担当者の立場から言えば、被告側の大手企業10社だけでなく、自動車・航空機の排ガス、町工場の煙突の煙、というように公害の原因となり得るものはあった。もちろんそのことについては、裁判でも主張したそうです。また、裁判を経て、企業側も煙の排出量をどのように削減するかで、大変努力するようになったそうです。

 山岸さんは「(公害や裁判は)時代における『きしみ』の中で起こったことだと思っています。そのような形でのトラブルは常に起こるはずです。どのようにそういうトラブルを乗り越えていくかは、皆さん1人1人の突破力だと思います」とおっしゃっていました。

 後日、「コミュニティワーク」の授業で学生同士のグループで話し合いました。様々な意見が飛び交いました。

履修生のグループによる議論   履修生の印象に残った場所

最後に一言述べる松村暢彦先生

 最後に今回の西淀川街歩き・公害訴訟を企画した本プログラム担当教員である松村暢彦先生(工学研究科)がお話しをされました。「今回の授業では、意見の違う人と話をするときの方法を学んで欲しかった」。「今、町に住んでいる人たちは、みんな普通に自分の生活をしている。別に、社会を良くするような提案をしてほしいとか、そんなことは考えていない。それでも、現場の人たちの話、今、住んでいる人たちの話を聞いていく中で、自分の意見を練り込んでいくようなことを考えて欲しい」「僕は大学の人間の悪いところは『ただ解釈して終わる』ところだと思っている。そうではなく、『自分はどういう役割を果たせるのか』を考えるべきだと思っている。皆さんにもそのように考えて欲しいと願っているが、もちろん、人それぞれでもあるけれども。。。できれば、気概を持ってやって欲しいと思っている。今後も頑張って下さい」とおっしゃっていました。

 裁判について話して下さった永野さん、上田さん、山岸さん、また、「あおぞら財団」の林さんをはじめ、「コミュニティワーク」の授業に関わられたみなさま、ありがとうございました。

(2013年7月19日, 広報担当: 平尾)

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