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活動報告

プロジェクト・ラーニング(「まちと人と共生」班の報告2)

第2回 大人の遠足: 自然環境と人々の暮らしを考えよう―蛍池・刀根山・待兼山を歩く*

*「大人の遠足」はヒューライツ大阪の企画です。第1回と第2回はヒューライツ大阪と未来共生プログラムの共催で開催しました。第3回は9月21日(日)にヒューライツ大阪と未来共生プログラムの共催で開催予定です。

当日のチラシ
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 2014年7月12日、ジメジメとした暑さの中、今年度第二回目の「大人の遠足」を実施しました。今年度は、ヒューライツ大阪と大阪大学未来共生プログラムが共催して企画することになり、第2回目も第1回目と同様に、未来共生プログラムの大学院生が中心になって企画・進行を担いました。当日は暑い中、足を運んでいただき、総勢18名となりました。

 今回の「大人の遠足」では豊中市「蛍池・刀根山・待兼山」地域を舞台とし、かつて旧日本軍の飛行場、戦後は米軍基地であった大阪空港の歴史や、江戸時代にこの地域を領有した麻田藩の歴史等を踏まえながら、戦後の開発と人々の暮らしの変化に伴い、自然環境がどのように変容してきたかを見つめました。

 今回の案内人は、刀根山高校の松本馨先生と大森実先生でした。蛍池駅を出発し、豊中市第十八中学校沿いの通りへと向かいました。蛍池や伊丹空港の周辺は、かつてはその大部分が田畑であったこともあり、水を確保するために多くのため池がつくられました。しかし、近年の市街化によってため池の有用性が失われ、ほとんどの池が埋められ、その跡地に学校や公園がつくられてきました。この第十八中学校もその一つですが、池の半分は残され、その池の上に体育館が建てられていました。

[写真1]ため池の植生について語られる松本先生

[写真2]住宅街の用水路に生息している巻貝

 松本先生は、伊丹空港の空港線に向かう道中の「雑草」の一つ一つの名前を教えてくださり、かつてそれらの「草」がどのように活用されてきたのかを教えてくださいました。現在を生きる私たちには「雑草」にしか見えない草花が、かつて薬として重宝されたことや、「野菜」として様々な調理法で食されてきたことなどを教えていただきました。「野に生えているから「野菜」だったんですよ」という松本先生のことばには、はっとさせられました。

 また、住宅街の中にある、ほとんど水の乾いた用水路に、知らなければ決して気づくことのない小さな貝が生息していることも教えていただきました。そのうちの1種類である坂巻貝は平家蛍のエサになるため、環境を少し整えてやれば、蛍が生息できる条件が整っているのだと教えてくださいました。

 遠足の中盤においては、蛍池がかつて「基地の街」であったことについて刀根山高校の大森実先生から詳しい解説がありました。伊丹空港がかつて米軍基地であった歴史を、みなさんはご存知でしょうか。「大阪国際空港」という名称を持ちながらも「伊丹空港」の通称が浸透している裏には、米軍基地であった頃の名称である「イタミ・エアベース」の名残ではないかと考えられています。アジア太平洋戦争は旧日本軍の飛行場として利用され、敗戦後米軍に接収されました。当時の空港線にはテキサス通りと呼ばれる歓楽街が形成され、米兵を顧客とする性売買の温床となりました。朝鮮戦争勃発時には空軍のほか海兵隊も駐屯し、7000人もの米兵がひしめきあっていたことや、イタミ・ベースからたくさんの爆撃機が飛んで行っていたことをお話しされました。

 1952年の日米安全保障条約の発効により、伊丹空港の米軍による接収が継続され、さらに拡張の恐れが出てきました。事故の多発、騒音問題や治安・風紀問題の発生などの理由から、地域の住民による米軍基地拡張反対署名運動が展開され、1958年に飛行場の全面返還が達成されたのだそうです。

[写真3]テキサス通りのパネルを持って説明される松本先生

[写真4]「基地の町」について語られる大森先生

 今回大森先生のお話を伺い、私たちのまちがかつて米軍基地との「共生」にはっきりとNO!をつきつけた歴史を学ぶことができました。基地とは共生できないことを知っているこのまちに住むわたしたちだからこそ、「本土」が沖縄に押し付けている基地問題について、自分の問題として考えていかなければならないと、我々企画者一同も思いを新たにしました。

 遠足の後半で、松本先生は刀根山高校の裏手に残る裏山を案内してくださいました。刀根山高校の裏手に残る裏山と大阪大学豊中キャンパスに残る緑は、かつては1つの山だったものが、中国自動車道の開通によって分断されてしまいました。また、そこに形成されていた里山は、自然に人間が手を加えながら維持していくことによって育まれてきた「自然」だったと松本先生は指摘します。近年全国的に見られる奈良枯れや松枯れも、かつては枯れた木をすぐに切り倒して燃料として使用したことでその蔓延が防がれてきました。松本先生は、まったく手つかずの自然よりも、人が管理し手を加える「自然」の方が多様性が高まることがあると教えてくださいました。近年の環境問題は、人間が自然との関わりを放棄していることに由来するのだということがよくわかりました。自然と人間の相互作用によって保たれてきたものが、近年のめまぐるしい開発と「発展」により、失われています。

 また、松本先生は「人権」という概念の人間中心主義的な側面も指摘しておられました。私たち人間が、豊かさを追求する活動の中で、多くの他の生物を絶滅においやり、地球環境を悪化させ、人間以外の生物に対して存続の権利を保障してこなかったことを批判しておられるのです。そして、そうしてこなかったことで、私たちは自然と関わりあいから生命に対する学びを得るかけがえのない機会を急速に失っていっています。「昔のような生活」に戻ることはできなくても、「今の生活」の中でどのように自然との関係を取り戻していけるのか、考えなければならないと実感しました。

 今回の「大人の遠足」は大阪空港の歴史を含めてさまざまな開発が人々や自然環境にもたらす影響を、身近なところから実感できる機会でした。「人権」「自然」「共生」といった何気なく使っている言葉を根本から考え直し、多様な生態系とそのなかの人間社会のあり方を考えるきっかけとなる一日でした。

[写真5]松枯れについて語られる松本先生

[写真6]刀根山高校での大森先生による講義

 今回の企画も、前回に引き続き、多くの方に「よかった」「とてもよかった」と評価していただくことができました。また、「今回の遠足は普遍的だなと思うんです。ある地域にしか適応できない応用のきかないはなしではない、どこでも言えることの割合が高かった」、「自然を守ると言ったとき、その自然は人間が自然だと考える主観的な「自然」だという考えにははっとさせられました」など、うれしい感想もいただきました。

 試行錯誤の中で、人との出会いに救われて何とか形にできた今回の企画は、企画者の私たちにとってもとても実りの多いものでした。協力していただいた松本馨先生、大森実先生、そして、私たちの企画を見守り、支えてくださったヒューライツ大阪の皆様、そして猛暑の中参加してくださった18名の参加者の皆様に心より感謝をいたします。本当にありがとうございました。

 

(2014年7月31日, 「まちと人と共生」班 沓掛)

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